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セルフ・アイデンティティー・ホ・オポノポノ

2009/01/28 Wed

「セラピストは人を救ったり癒したりするものだと思っているが、実は彼らの仕事とは、患者たちの中に見える自分自身のプログラムを癒すことなのだよ。
そういう記憶がセラピストの中でキャンセルされれば、患者の中でもキャンセルされる。
君や君のコーチが言ったりすることは一切どうでもいい。
一緒にいる人を愛し続けることでいいんだ。
忘れてはいけない。
君が見ている相手は君を映す鏡だ。
その人の体験を君は共有している。
共有されているプログラムを清めれば、どちらも良くなる。」

「でも、どうやって?」

「『I love you.』だよ」彼は言った。



『ハワイの秘宝』(“Zero Limits”)p.233~234




最近、ホ・オポノポノに凝っています。

―といっても、
イハレアカラ・ヒューレン博士の『みんなが幸せになるホ・オポノポノ』
ジョー・ヴィターリ氏の『ハワイの秘宝』の2冊の本を立て続けに、やっと読んだということなのですが。


リーマン方式のお線香3本供養を始めて1年半くらい。

昨年、ありがとうおじさんとの出逢いで、心中でのありがとうございます度(?)もパワーアップ…


だから、ホ・オポノポノの、

ありがとう。(Thank you.)
ごめんなさい。(I'm sorry.)
許してください。(Please fotgive me.)
愛しています。(I love you.)


という祈り言葉にも全く抵抗がありません。


ヒューレン博士は、ハワイで伝承される「ホ・オポノポノ」を継承、発展させた「セルフ・アイデンティ・ホ・オポノポノ」を実践、伝授されています。


ホ・オポノポノでは、私たちの潜在意識の中の「記憶(Memory)」が私たちの生き方を歪めていると考えます。
世界が創造されて以来蓄積されてきたさまざまな記憶が、私たちの行動、生き方に反映され、数々の障害、苦悩を生み出しているのです。したがって、その記憶を消してしまえば、そのような悩みや苦しみはなくなってしまいます。
(『みんなが幸せになるホ・オポノポノ』 p.2)


その記憶は私たち1人ひとりの潜在意識の中にあるので、それを消去すれば自分自身も世の中も変えることができる。
他の人に頼ることなく自分自身で全て解決できる。

―ということです。



ヒューレン博士は常に、こう自分自身に問いかけるといいます。

「この問題を生じさせた私の中で一体何が起こっているのだろうか。そして、この、私の中の問題をどうすれば取り除けるのか」


全ての「意識」は「一つ」ですが、私たちは限りない情報の断片しか知覚できません。
実際はあらゆる物事に100%責任を負っていることを自覚できないとしても、

「自分自身をきれいにすること」

―それが全てと言いきります。

なぜなら自分こそが「世界」なのだから、外に見える物事は全て、投影であり幻想に過ぎないと…



長年に渡り、完全に納得できていることばかりです。(理屈では…)
現在の個人的な到達ポイントに抵触するものは、ホ・オポノポノに全くありません。
それどころか、今までの知識や経験の全てを包括するソリューションに思えます。


ホ・オポノポノが、わたし達がエゴと認識できる以上のものをきれいにクリーニングできる方法ならば、実践しない手はありません。
何せタダです


わたしは、なんでも試さずにはいられない性質なので、ありがとうございますの延長として、ホ・オポノポノを実践させていただいております。


ありがとうございます




「ホ・オポノポノ、レン博士、ありがとう」
きくちゆみのブログとポッドキャスト


「すべての問題の原因は私の中にある過去のデータ(記憶)が再生していることであり、それを消して「ゼロ」の状態に戻ると、聖なる存在からのインスピレーションが入ってきて、完璧な人間関係、健康、豊かさ、平和などを体現できる」







ご支援よろしく<(_ _)>














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竜の国~ブータンに理想郷を見た

2009/01/22 Thu

過日、あるTV番組で、ブータンの特集をしていました。


ブータンは、南アジアにある国家。
正式名称はブータン王国。
インドと中国にはさまれている、世界唯一の、チベット仏教を国教とする王国。
国土は九州に匹敵する程度、人口70万人以下の小さな国です。



ブータンは急速な近代化(欧米化)の中で、独自の立場や伝統を守ろうとする政治に、世界的な注目が集まっています。
また、前国王が提唱した、国民総生産にかわる国民総幸福量(GNH)という概念、様々な環境政策、伝統文化保持のための国民に民族衣装着用の強制…などが、近年のスローライフなどのキーワードと組み合わされて語られる場合が増えています。


確か、1980年代まで、ブータンは、ほぼ鎖国状態でした。
その頃、Photo Japonという写真誌で、ブータンの風景、建物、人物を初めて見ました。
その時、得も言われぬ郷愁を感じたのを覚えています。
まるで昔の日本人のような顔立ち、そして似通ったマインドが感じられました。

(400年以上前、ブータンで現在の妻と兄弟関係だった前世もあるらしいですが…)



余談ですが、昔インドで出会った知人が、半鎖国中のブータンに行ったことがあるそうな。
(どうやって入ったんでしょうか…)
彼は様々なところで修行していた人間で、ブータンでは黄色い袈裟を着用して旅をしていたそうです。
すると、行く先々で歓待を受け、ホテルでは毎朝、大量の新しい生花が届けられました。
さすがに、これはおかしいと感じた彼は或ることに気が付いたのです。
黄色い着衣は、ブータンでは王族のみに許されたものであったと…

このままでは大変な事になると思った彼は、ホテルをこっそりと抜け出したのでした…
(彼は、青山圭秀氏の『理性のゆらぎ』にH・Rとして登場しています)


それはともかく、現在のブータンの人口の、何と90%が農業に関わっているということです。
食糧危機も、食品添加物の危険も無く、正に地産地消の、マクロビオテックなスローライフ。

更には、制服などの費用を除く教育費、医療費は全てが無料!
(インドの聖者サイババも、教育、医療費は無料であるべきと唱え、多くの学校、病院でそれを実践しています)


そして最もユニークで先駆的なのは、全ての根底に流れる、国民総幸福量(GNH~Gross National Happiness)という概念でしょう。

「国民総幸福量」とは、こう説かれています。

目的と手段を混同してはいけない。
経済成長自体が国家の目標であってはならない。
目標はただひとつ、国民の幸せに尽きる。
経済成長は幸せを求めるために必要な、数多い手段のうちのひとつでしかない。
そして、富の増加が幸福に直接つながると考えるのは間違いである。


国民総幸福量の増大は経済成長よりも重要である、というのが国王ジグメ・シンゲ・ワンチュクが唱えた同国の国是となっています。


先日のTV番組の中、現国王の国民に向けたメッセージが実に感動的でした。

「私は、あなた達の父として、友人として、また息子としてあなた達に仕えたい」

―ということを言っていたのです。


「民主主義」という、実際には存在しない幻想を信じる者は、立憲君主制という制度が、古色蒼然たる過去の遺物のように見えるかもしれません。
しかしどのような形であれ、こころの豊かさに重点を置き、それを追求し、実現しようとする世界。
それこそが、わたし達が夢見る、ミロクの世の理想郷なのでしょう。

そこにはチベット仏教の利他心に基づく、全ての生きとし生けるものに対する思いやりと親愛の情や、全てが相互に依存しあって生きていることを自覚する精神性があります。

利他心、慈悲心という、こころの豊かさが経済を循環させ、自然との共存により、もたらされる豊かな実り。
感謝の念を抱き、「国民総幸福量」という目に見えない価値に向かって、総国民がひたすら生きるブータンの姿。

変動を越えた未来世界は、現在のブータンのような理想郷なのかもしれません。






ご支援よろしく<(_ _)>










あるワーク~沈黙の行

2009/01/16 Fri

『奇跡のコース』(A Course in Miracle)という、キリストの言葉をチャネリングした著作をご存知でしょうか?
日本では未訳ですが、ゲイリー・R・レナードの『神の使者』『不死というあなたの現実』という二つのベストセラー本で、近年、知名度が上がっているものと思います。

以下は、NYで女優をしながら『奇跡のコース』のワークを実践している、素敵な方の「修行」についてのコメントです。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◆◇◆◇◆◇



 コースのワークそのものとは違いますが、私にとってはかなり効果のあったワークがあります。



 多くの宗教の修行で「沈黙」というのがあります。

 この類の修行中、修行者は本当に何も言ってはいけないらしいですね。
 たとえば道に迷って困っている人に道を聞かれた時でさえ、答えてはいけない。
 (私が道を聞いた人だとしたら、キレると思いますが。。。)


 
 
 このワークではそこまではしません。

 ただ、「これだけは言わなきゃ!!」と心が騒ぐことだけを、「言わない」んです。

 「これだけは言わなきゃ!!」と、心が騒ぐ時、私たちは不安の中に居ます。
 「なんとかしなきゃ!」私の「平和」や「良しとするもの」「こうあるべきもの」が脅かされる状態です。

 こういうときにそれを「言わない」という選択は、簡単ではありません。


 そんな時の私は「私がこれを言うこと」に、力があると信じています。
 物事を変えたり、動かす力、つまりコントロールする力が。

 「これだけは言わなきゃ!」は「私がコントロールしなきゃ!」です。

 「私がコントロールしなきゃ。神様なんかには任せていられない。聖霊にはできないだろう。」です。


 「これだけは言わなきゃ!」を「言わない」という事は、自分は一歩退いて、聖霊に任せるということです。




 最初、これをしようとすると心が大騒ぎをします。

 でも、やると決めたら、やるしかないので「言う」をしません。

 この状態でいると、自分の中の見たくないもの、認めたくないものがだんだん湧き出てきます。

 「コントロールしたいものがある」ということは、
 「自分の中にこんな不安があったからなのか。」 
 「こんなコンプレックスがあったからなのか。」
 「こんなことを恐れているからなのか。」
というものが、出てきます。



 これが原因だったのなら、「言う」をしても仕方が無いんだなということに気付きます。
 
 私はこれで、今までに何度も泣きました。

 絶望を感じました。

 ヒステリックにもなりました。





 そこでやっと、「救われたい」と、心の底から思うことができました。


 私の願いが「この状況をコントロールすること」から、「私が救われること」に変わります。



 「コントロール」に意識が行っているとき、「この物語の主役」は自分以外の誰かでした。
その人が「変わる」ことが重要でした。


 「私が救われること」に意識が戻ると、主役は「私」です。


 私たちが聖霊に祈る時、聖霊に届く主語は 「I」 だけです。
 他人を「変えてくれ」「救ってくれ」とは頼めません。

 でももう、他人を救ってもらう必要はありません。

 救われたいのは私だったのですから。


 

 祈りは必ず聞き届けられます。

 「これだけは言わなきゃ!」といきり立ったことが、結局は癒しと奇跡を体験するきっかけだったことになります。
 私がそうすると決めたからです。

 

 このあと、「これだけは言わなきゃ!」と思っていた状況がどんな変容を遂げるのか、あるいは遂げないのかは、もう私の問題ではなくなります。





 
 

 それと、このワークを何度かやって気付いたのですが。。。

 最初に「コースのワークそのものとは違いますが」と書きましたが、でも、これってコースのワークと全く同じことですよね。




 興味のある方はお試しを。









ご支援よろしく<(_ _)>












人体は一体だれが作ったの?

2009/01/14 Wed

私たちの体の中の血管の長さをご存知ですか?
なんと10万キロ・・・・地球2周半もあります!

心臓から送り出された血液は、前毛細血管括約筋の働きで、100億本の毛細血管を開いたり、閉じたりして必要な場所へ酸素と栄養素を送っています。

血液を送り出す心臓は手の握りこぶし大の大きさです。

その心臓が、1分間にドックドックと70回血液を送り出します。

1日では10万回、1年で3600万回、20年で7億2千万回、80歳の私なら約30億回!

寝ている時でも、仕事をしている時でも、腹を立てているときでも、1分1秒も休むことなく動きとおしています。・・一度も修理なしにです。

これって、自分で動かしているのでしょうか?

いや、何か、ある存在が必要あって動かしているに違いない。必要あって私たちを生かしているに違いない。

では、何のために生かしているのでしょうか?

人間の細胞は60兆といわれます。
その細胞の大きさは平均1000分の20ミリ。

そして細胞の核にはDNAが組み込まれています。

DNAの直径は50万分の1ミリ、極小の世界の大きさです。
ところがDNAの長さは180センチメートルで、一つ一つの細胞に存在しています。

体の中に細胞が60兆ありますので、全細胞のDNAをつなぎ合わせますと、なんとその長さは、地球と太陽を400回往復する距離になるそうです。・・・田原総一郎さんの「生命探求」による。

そして、ひとつのDNAには生命現象の一切の情報が刻み込まれて、
その情報量は広辞苑3000冊分だといいます。

誰がその情報を書き込んだのでしょうか? ・・私では決してありません。

人間を超えた偉大なる存在が、私を生かすために書き込んだのに違いありません。

では、一体、何のために書き込み、わたしを生かしているのでしょうか?

好きなものを食べて、おいしいと思います。しかし、おいしいと味わうことができるのも、何かの存在によって味覚が与えられているから、おいしいと思うわけで、自分自身に味わう力があるわけではありません。

花を見て美しいと思います。目があるから見ることができるのです。
その目はだれが作ったのでしょうか?

眼球を形づくる硝子体、それを包む網膜、レンズの役割をする水晶体、レンズの厚みを調節する毛様体、カメラの絞りにあたる虹彩・瞳孔、外界と眼球を分ける角膜、情報を脳に送る視神経があって、はじめて私たちはものを見ることができます。

とんでもない智慧を持ったある存在が、愛の心を持って、私を生かしてくれるために、この目を作り、見ることができるようにしてくれたのに違いありません。

生まれてきて以来、私は80年間、米や肉、魚、野菜といろいろ食べてきました。ものすごい分量になるでしょう。

しかし、自分の身体が、このものすごい分量そのままの大きな形にならずに、ちょうど適当な生きていくのに必要な大きさにしてくれています。

それは、必要なものだけを吸収し、いらないものを排泄する微妙な働きをしてくれているからです。

また、米や野菜などの植物を身体に入れても、それとはまったく違ったもの―赤い血、黒い髪、白い骨、固い爪、心臓などの臓器に変化していきます。

自分の力のまったく及ばぬところで、とんでもない力が生まれて以来、働き続けています。


とんでもない智慧、愛と大調和の心を持った、ある大きな存在・・・サムシンググレート=神・・・が、ある目的を果たすために、必要あって、私を存在させたのに違いないと思います。

キリストによれば、人間に無償の愛を実現させるため、お釈迦さまによれば、慈悲を実現させるために、です。

決してエゴを追求し、争い、地球を破壊させるためではない。

自らの魂を磨き、利他、共存共栄、我もよし他もよし、森羅万象、地球が喜ぶ生き方をするために、このものすごいいのちが与えられたのだと思います。

私が存在することによって、少しでも、利他及び地球の幸せ、繁栄、平和が実現できるようになりたいものです。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◆◇◆◇◆◇

あるSNS内の、お友達からお借りしました。


ありがとうございます






ご支援よろしく<(_ _)>











二つの今日という日

2009/01/05 Mon

「今日」は二つの特別日。
今日も含めた過去で言うなら、
「今日」の私は人生で最長老、最ベテラン、最古参。
その日の判断は、最古参の「私」が下したものだから、
それ以上のものはない。



「今日下した判断は、どんな判断もすべて100%正しい」
それにしては、半年前や1年前に下した判断で、
「ああすればよかった」「どうすればよかった」と思うことが少なくありません。

しかし、よく考えてみてください。
そのように「ああすればよかった」と考える自体、
私たちがそのときより進歩・向上している、ということでしょう。

たとえば、「半年前の自分は未熟だった」と思うなら、
その半年の間に、その人は当時よりずっと大きな判断力を身につけたと言えます。
あるいは、広い視野を持ち、それだけ成長することができたということになります。

自分の判断が未熟であったと思えば思うほど、その時より現在の自分は成長しています。

だから、過去の時点の「今日」にさかのぼってみれば、
その時点では、自分の選んだことが一番正しい判断だったということ。
それ以前の自分の「過去」と、そのときの「現在」を知り抜いている
自分でなければ、その判断はできません。

だから、どんなに未来において間違っていると.感じても、
「今日下した判断」はすべて100%正しいのです。



今日も含めた未来を考えたとき、
「私」は今日、最も未熟なものであり、最若年者である。
では、さらにもっと勉強しよう、
向上しよう、魂を磨こうということになる。



今日を未来の一部と考えたときは、「過去の中の最古参」とは逆に、
今日という日の自分は「もっとも未熟で最若年」ということになる。

だから、未来に向けていか自分を磨くか、向上させるか、
成長させるかということにエネルギーを使うべきだと考えます。

ところが、過去の人生をくよくよ考えたり、後悔したりしてしまう人は、そのことばかりにエネルギーを費やして未来のことをあまり考えていない気がします。

その時点では判断が100%正しかったのですから、そこを考えてもしかたがありません。

神社には石段がありますが、その間には必ず「踊り場」がつくられています。
そこから下を見下ろせば、自分が登ってきた道が続いています。

そこで、「こんな長い石段を、よく登ってきたなあ」と
自分をほめてあげたらいかがでしょうか。

そして、上の石段を見れば、まだ長い登り道が存在しています。
その行き着く先には「神様」が存在しています。
だから、「よし、まだまだ登るぞ」という気になるのです。

こういう二つの意味をもった日が「今日」なのです。
それが毎日続いていくのですから、こんなに楽しい人生はないでしょう。




小林正観さんの「心を軽くする言葉」(イースト・プレス)より







ご支援よろしく <(_ _)>








プロフィール

さんかるぱ

Author:さんかるぱ
アメリカ在住13年。後、大阪に居を構え広い意味での「癒し」に関わる。

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