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スターウォーズ エピソード3~ハリウッド的勧善懲悪の変遷

2009/02/23 Mon


SW3 SW3-2


日本では1978年に封切された「スターウォーズ」(以後SWと表記)から、27年を経て公開されました。
最終作ということで、全ての欠けていたリンクが繋がる作品です。

-といっても“What”は無く、“Why” と“How”が残っていただけ。

皮肉な言い方をすると、どのように辻褄を合わせてくれるのか、という期待で待たれていた映画といえるでしょう。
最大の焦点はアナキン・スカイウォーカーが暗黒面に堕ち、ダースヴェイダーとなる、その心的、外的なプロセスにあったという事に尽きます。

しかしエピソード3で、そのプロセスが(それなりに)入念に描かれる為、「悪の枢軸」として変貌するアナキンに感情移入をしてしまいます。
その結果、SW6部作は暗黒のヒーローであるダースヴェイダー(=アナキン)の物語として大団円・・・ということになってしまったようです。


初作からの年月が経つ内に、アメリカ合衆国という「帝国」の実体が、「悪の枢軸」としてカミングアウトしています。
歴史的に、「悪役」に肩入れするようなハリウッド的大作映画というのは極めて特異です。
実際、この映画が「帝国」の野望を正当化しているとか、政治に絡めた批評も多いと聴いています。
確かに最初は「善」の代表ルーク達の物語だったはずなのに、と思う向きは多いようです。


ジョージ・ルーカスが比較神話学者ジョーゼフ・キャンベル(1904~87)の著作、特に『千の顔をもつ英雄』を参考にSWの脚本を書いたことは有名です。

英雄は「出立」「イニシエーション(試練)」「帰還」の3つの段階を経るという、キャンベルの提唱する「英雄の冒険のサイクル」に、ルーク・スカイウォーカーの冒険を描いた『エピソード4』~『6』は、忠実に従いました。

神話は「生きることへの精神的なフレームワークを与える」というキャンベルの思想に、ルーカスは強くインスパイアされていました。(ここでの『神話』とはユングの言う『元型』とリンクしています)

映画は完全な娯楽と割りきって作るのも観るのもOKです。
しかし、期せずして「時代」にシンクロしてしまうことも確かにある-この大河ドラマを観終わって改めて感じました。

しかしご心配なく。
ドラマが終わっても『神話』が終わる事は決してありませんから…


оΟ゜Ο。.・оΟ゜Ο。.・оΟ゜Ο。.・оΟ゜оΟ゜Ο。.・оΟ゜Ο。.・


上の日記は、連日7~800ものスパムを受け続けた後、閉鎖したブログのアーカイヴからです。
4年の時が経過して、昨夜TVでこの作品を斜めに観ていました。

何だか闇も光も紙一重~というか、
嘗て「悪」と見なしていたものさえ、愛おしく感じている、現在の自分の立ち位置を思いました。


As Time Goes By…



ありがとうございます








愛のワンクリックよろしく<(_ _)>









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オライオン・コンスピラシー(The Orion Conspiracy)

2009/02/19 Thu


このフィルムはドキュメンタリーでもなく、デッチ上げでもない
(This film is neither a work of fiction, nor a documentary.)

―と、但し書きがありました。

かなりの真実が含まれているものの、
これこそがディスインフォメーションという好例かと思います…

多くの「真実」の中の虚偽情報。
彼らが真に隠したいものは一体何なのでしょうか?



<あらすじ>
200X年、某国の調査室責任者フランソワ・オルソーが安全保障に関する調査報告を行 った。
その席上、第二次世界大戦前から現代に至る、「ある危険な勢力」による世界的規 模の秘密工作が明らかにされる。
世界的な脅威であり、国民に情報を公開すべきであると 彼が主張するその調査報告とは―

http://www.youtube.com/watch?v=wJ0FvaTHlCI
オライオン・コンスピラシー(日本語字幕版)PART1



http://www.youtube.com/watch?v=A5RzKaAXXQ8
オライオン・コンスピラシー(日本語字幕版)PART2




(Youtubeを観られない方の為に、概説)

・第2次世界大戦直前に、ナチスはアフガニスタン探検でVIMANAと呼ばれる飛行物体を発見

・1927年のロシア・中国探検で5万年前の砂漠の地層の堆積物に核爆発の跡を発見

・かつて4つの月があり、それらの月は崩壊して地球に落下し、これが4回にわたる生物の絶滅を招いた

・身長3~4メートルの巨人たちが文明をつくっていた

・月が崩壊して、海面上昇・核の冬・重力の増大により巨人たちは滅亡

・1.2万年前に600以上のピラミッドを建設した古代文明(沖縄とキューバは海底)

・第2次大戦後にナチの技術は米国とロシアの手に渡った

・そのひとつがフィラデルフィア実験における駆逐艦のテレポート

・CIAのケネス・アーノルドはUFOが存在すると思わせる陰謀を開始

・1948年に米国は古代のUFOをロシアで発見。ロズウェルはそのカバーストーリーでフィクション

・1971年に月に文明の遺跡を発見したが、レタッチで写真から削除された

・1965年6月にアルゼンチンの南方の海底に飛行物体を発見。ロシアの妨害をはねのけてエドワード空軍基地に回収。10年後にMHDによる反重力機関を開発し、エドワード空軍基地で初飛行

・1982年に始まったB2爆撃機は、通常のB2と、プラズマ発生器とMHDジェネレータを持つマッハ10で飛行する極秘B2があった。

・HARRPは電離層観測施設と称しているが目的は気象操作である

・1996年に南極の融けた氷の中から2.4万年前と推定される飛行物体発見

・米国とロシアで製造されたUFOを使って、異星人による地球攻撃を演出
平和になった世界で軍を強化し続けるために、地球外の敵が必要








愛のワンクリックよろしく<(_ _)>










『樹木たちはこう語る 』

2009/02/15 Sun

「私たちは偶然の産物ではありません。一つひとつの木もヤブも植物も、全体の計画の中で目的を持っています。神の法則が最もすぐれています。それに同調してください。そうすれば世界は正気で喜びに満ちたものに戻るでしょう。」(p.100)



フィンドホーンの創設者のひとり、ドロシー・マクレーンが、樹木から受け取ったメッセージを伝える本を読み終えました。
彼女はカナダ生まれ。
ご存知の方もおおいでしょうが、北スコットランドでキャディ夫妻とフィンドホーン共同体を設立しました。
当時、荒れ地であったフィンドホーンを、愛と、自然との対話により、奇跡の地へと変えたのです。




わたしの周辺でも近年、「樹木(植物)conscious」な方たちが急増しています。

わたし自身は感覚が鈍いほうですが、それでもご神木といわれるようなレベルの木からは、強くて慈愛に満ちたエネルギーを感じることがあります。

ホ・オポノポノを実践するようになってから、こまめに木や鉢植えにも挨拶するようになりました。
(アヤシイおやじです…)
すると、風の動きとは無関係に、葉っぱや枝が揺れて挨拶が帰ってくることを発見!
最初は正直、半信半疑でしたが…

…あると思います…ベンベンゝ(▽`*ゝ)



樹木たちは太古より、いかなる対価をも人間に求めることなく 鳥や動物達に木陰を与え、時には食料となり、生物が生存するための酸素を供給してくれています。
存在そのものが無償の愛によって支えられているのです。

樹木たちは、「年取った大きな木は地球にとってとても大切です。大きな木を勝手に切り倒してはいけません。
もっと大切にしてください」と強く訴えています。

成熟した樹木や巨木たちは導管となって、宇宙のエネルギーを地上へ流すという、霊的にも非常に大切な役割を果たしているのです。


先日のオーストラリアや中国の大火、アマゾンやシベリアの森林の大量伐採…を考えると、樹木たち(地球)の叫び声が聞こえてくるようです。
放火が原因と言うのがまた悲しいですね。
もう既に、地球上の三分の二の森林が失われている状況下で、です…




「自分勝手な考え方をやめ、すべては一つの命であること、あなた方もその一つの命の一部であることを知りなさい。そして神の計画を知り、その中での自分たち人間の役割を知って、それに沿った生き方をしなさい」


この本は、人類初の「樹木のメッセージのチャネリング本」です。
これからの時代、人と自然との新しい関係を築いていくために、記念碑的な著作となるのかもしれません。


「あなたの心に愛を湧き起こしたのは、一本の特定の木かもしれません。でもその木はあなたの気持ちを自分への気持ちだと受け取ることができず、あなたは自動的にその種類の木全体の魂とつながります。もし、人間がこの資質を学ぶことができれば、戦争や争い、競争や不和は終わりを告げるでしょう。」



感謝・合掌



ドロシー・マクレーン/著 山川紘矢/訳 山川亜希子/訳  
出版社名:日本教文社  発行年月:2009年01月







愛のワンクリックよろしく<(_ _)>











ネイティヴアメリカンの長老 オライア・マウンテン・ドリーマーの詩

2009/02/11 Wed

「招待」


あなたが生活のために何をしているかは、どうでもいいことです。

私は、あなたが何に憧れ、どんな夢に挑戦するのかを知りたい
と思います。


あなたが何歳かということも関係のないことです。

あなたが、愛や夢や冒険のためにどれだけ自分を賭けることが
できるのか知りたいのです。


あなたがどの星座に生まれたかということもどうでもいいことです。

あなたが本当に深い悲しみを知っているか、
人生の裏切りにさらされたことがあるか、
それによって傷つくのが怖いばかりに
心を閉ざしてしまっていないかを知りたいのです。


あなたが自分のものであれ、人のものであれ、
痛みを無視したり、簡単に片づけたりせずに、
それを自分のものとして受け止めているかどうかを知りたいのです。

また、喜びの時には、
それが私のものであれ、あなたのものであれ、心から夢中になって踊り、
恍惚感に身をゆだねることができるかを知りたいのです。
気をつけろとか、現実的になれとか、たいしたことはないさなどと言わずに。


私は、あなたの話すことが本当かどうかには関心がありません。

私はあなたが自分自身に正直であるためには、
他人を失望させることでさえ あえてできるかどうかを知りたいのです。
たとえ裏切りだと責められても、自分自身の魂を裏切るよりは
その非難に耐えうる方を選ぶことができるかどうかを。

たとえ不実だと言われても、そんなときにあなたがどうするかによって、
あなたという人が信頼に値するかどうかを知りたいのです。

私は、あなたが本当の美がわかるかを知りたいのです。

それが見た目に美しく見えない時でも、
毎日そこから本当に美しいものを人生に汲み上げることができるかどうかを。

私は、あなたがたとえ失敗しても、
それを受け止めて共に生きることができるかどうか、
それでも湖の縁に立ち、銀色の輝く満月に向かって
イエスと叫ぶことができるかどうかを知りたいのです。


あなたがどこに住んでいるか、
どれだけお金があるかはどうでもいいことです。

それよりも、あなたが悲しみと絶望に打ちひしがれ、
どんなに疲れ果てていても、また朝が来れば起き上がり、
子どもたちを食べさせるためにしなければならないことを
するかどうかを知りたいのです。


あなたが誰を知っているか、
あなたがどうしてここへ来たかは関係ありません。

私とともに決して怯まずに 
炎の只中に立つことができるかどうかが知りたいのです。


あなたがどこで、何を、誰と勉強したかはどうでもいいことです。

私が知りたいのは、皆が見捨ててたった一人になったとき、
あなたの内側からあなたを支えるものは何かということです。

私はあなたが自分自身としっかり向き合い、
その何もない時間の中にいる自分を
心から愛しているのかどうかを知りたいと思っているのです。



This is original English Version for you.


It doesn't interest me what you do for a living.

I want to know what you ache for, and if you dare to dream
of meeting your heart's longing.

It doesn't interest me how old you are.

I want to know if you will risk looking like a fool for
love, for your dream, for the adventure of being alive.

It doesn't interest me what planets are squaring your moon.

I want to know if you have touched the center of your own
sorrow, if you have been opened by life's betrayals or
have become shriveled and closed from fear of furtherpain.

I want to know if you can sit with pain, mine or your
own,without moving to hide it or fade it or fix it.

I want to know if you can be with joy, mine or your own,
if you can dance with wildness and let the ecstasy fill you
to the tips of your fingers and toes without cautioning us
to be careful, to be realistic, to remember the limitations of being human.

It doesn't interest me if the story you are telling me is true.

I want to know if you can disappoint another to be true to yourself;
if you can bear the accusation of betrayal
and not betray your own soul;
if you can be faithless and therefore trustworthy.

I want to know if you can see beauty, even when it's not
pretty, every day, and if you can source your own lifefrom its presence.

I want to know if you can live with failure, yours and mine,
and still stand on the edge of the lake and shout tothe silver of the full moon,
"Yes!" It doesn't interest meto know
where you live or how much money you have.

I want to know if you can get up, after the night of grief
and despair, weary and bruised to the bone, and do what
needs to be done to feed the children. It doesn't interest me
who you know or how you came to be here.
I want to know if you will stand in the center of the fire with me
and not shrink back.

It doesn't interest me where or what or with whom you have studied.

I want to know what sustains you, from the inside,
when all else falls away.

I want to know if you can be alone with yourself and if
you truly like the company you keep in the empty moments.








愛のワンクリックよろしく<(_ _)>







知っていても出来ない ②

2009/02/08 Sun



そして、そうした傾向に一段と拍車をかけているのが、二つ目の大きなハンデであるエゴの存在です。

エゴはわかりやすく言うと、自分を守ろう、あるいは自分の利益を優先しようとする意識のことです。
しかし、もしエゴがなければ、人間は宇宙最悪の制限服である肉体を纏った状態で、生存競争の激しいこの地球で生きてゆくことなど到底不可能でしょう。
そういった観点からは全く否定すべきものではないかもしれません。

一方ではエゴが強すぎると、自分にとって不利益となることに対してことごとくブレーキをかけたり、自分のことばかりを優先するような行動をとるようになり、この辺の按配がなかなか難しいところなのです。


三つ目のハンデが、一番たちが悪いカルマです。

何故一番たちが悪いのかと言うと、自覚することが極めて難しいからです。
また、カルマはエゴとタッグマッチを組んで、何かにつけ皆さんを悪い方に悪い方に誘導し、時には皆さんをどん底にまで突き落とすようなことも平気でします。
このため、多くの方が対応に苦慮しているのが現状です。

そして、こうしたハンデに加え、人間が悩み苦しむような様々な仕掛けがこの地球には山ほど設定されているため、良いことをしようと思ってもなかなか出来ない。
逆に悪いことだとわかっていてもついつい悪いことをしてしまい、何事につけ「知っていても出来ない」という結果で終わるのです。

それでは、何のためにそうしたハンデを背負ってまで、人間がこの地球で生きてゆかなければならないのでしょうか。
それは、そうした困難な状況下で、いかに愛を実践できるかのゲームをやっているからであり、また愛の広さと奥行き、すなわち未知なるものを探求しているからなのです。

そして、そうしたゲームにあえて参加を決められたのが他ならぬ皆さんであり、第三者が皆さんに無理強いしたわけではないのです。

そうした宇宙一難しいゲームであるからこそ、他の星よりも百倍・千倍のスピードで魂が進化するメリットも一方ではあるわけで、全体としてはきちんとバランスが取れているのです。

だとすると、いつまでも「知っていても出来ない」などと寝言を言ってても埒が明きません。
そうしたゲームであることがわかったならば、ゲームに勝つべく、それ相応の努力をすべきなのです。

どんな努力かというと、何か特別なことをしなければならないということではありません。
ただひたすら愛を実践すればそれで良いのです。
愛を実践することによって、自然とハンデも克服してゆくことが出来るようになるから、愛とは誠に持って不思議なものなのです。

要は、愛は不純物が混ざった状態では一見無力のように見えるが、純度が高まるにつれ、急速に本来の驚異的な力を発揮するようになる、ということなのでしょう。


昨今は末法の世だけあって、精神世界ではそれこそありとあらゆる情報が溢れ、色んな方々が様々なことをおっしゃっています。
そうした理屈や能書きなど、皆さんにはもう何も必要ないということをよくご理解下さい。

何かしらのお題目を唱えたり、特別のテクニックを習得すれば覚醒できるわけではありません。
あるいは第三者が何らかの秘法を使って、皆さんを覚醒させることが出来るわけでもありません。

多くの方が、そういったクロボーの妄言にまんまとハマって、悲しむどころかかえって喜んでいらっしゃいます。
そんなチンケなことが、宇宙一難易度が高い地球学校であるわけがないのです。

また、たとえファーストコンタクトであろうがNESARAであろうが、人類全体にとっては大きな出来事かも知れませんが、皆さんにとってはいずれも大したものではないのです。

何故なら、それが起こった時には皆さんのゲームはもうほとんど終わっています。
それが起こるまでが皆さんの勝負どころです。


私はこれまで、馬鹿のひとつ覚えのように「愛の実践」ばかりを言い続けてきました。
そして今日も言い続けています。
何故だと思われますか。

それは、この地球では、愛はただ思うだけではなく、何らかの形で実践すべきものだから、そう言い続けているわけです。

高次の世界では思ったことすべてが即座に現実化します。
何故そうなるかといえば、思ったことがみな愛に基づいているからそうなるわけです。
高次の世界では、愛はただ思うことによって実践したのと同じことになるわけです。

だとすると、何のためにわざわざ宇宙一難易度が高い地球学校を作る必要性があったのか、ということになるわけです。
ただ愛を思うだけではなく、思ったことを次の段階として何かしらの行動に移すことが出来るかどうかを徹底的に

訓練したり、その新たなる方法を模索するために、この地球という特殊な学校が必要だったということなのです。

そして、愛の思いをいとも簡単に行動に移すことが出来る設定では何の意味もありません。
この地球ではいくら頭の中だけで愛を思っても、容易に行動に移せないような、様々なハンデや意地の悪い仕掛けが数多く設定されているのです。

だから、ほとんどの方が「知っていても出来ない」という段階で足踏みしたまま、過去何回も落第してきたのです。

愛はただ思うだけとか、頭で理解しただけでは、地球でのゲームの趣旨から大きく外れてしまいます。ですから愛の実践が最も大切なのですよ、と繰り返し申し上げてきたのです。

幸か、不幸か、どちらなのか良くわかりませんが、今現在も延長戦が続いています。
皆さんの中には、今も尚周囲を見渡して何となく安心感をお持ちの方がいらっしゃるのかも知れません。
それがそもそもの間違いの元なのです。

周りは、皆さんの合否と一切関係ないのです。
皆さんおひとりおひとりが、愛の実践が出来たのか、それとも出来なかったのか、を問われているのです。

もうすぐ、出来た人は還る人、出来ない人は・・・・・ということになるでしょう。選んでいるのは皆さんです・・・・・






ご支援よろしく<(_ _)>










知っていても出来ない ①

2009/02/06 Fri

その昔、唐代の詩人白楽天が、西湖の秦望山で修行していた道林禅師を訪ねた折の話です。
道林禅師は、松の木の上で座禅していたことでつとに有名な、一風変わったお坊さんです。


白楽天:「木の上で修行するなんて、危ないのではないですか」
道林禅師:「そんなことはない、お前さんのほうがよっぽど危ないわ」
白楽天:「どうしてでしょう」
道林禅師:「お前さんの心は、まるでたくさんの薪を積んだすぐそばで焚き火をしているように不安定なものだからだ」

(中間省略)

白楽天:「それでは、仏教の極意とは何でしょうか」
道林禅師:「悪いことをしないで、善いことをすることだ」
白楽天:「それならば、三歳の子供だって知っていますが・・・」
道林禅師:「どれだけ知っていても、八十になっても出来ないのである」

「知っていても出来ない」皆さんも心当たりがあるはずです。
それもひとつやふたつではないかも知れません。
暇な時に一度ゆっくり数えてみて下さい。

真剣に数えてみて初めて、知っているということと、それが出来るということは、全く別のものであることがよく理解できます。

誰しもそうですが、他人から自分が知っていることに関して少しでも諭されようものなら、何となく馬鹿にされたような気がして、「そんなことぐらい、言われなくても知ってます」とケンカ腰で返答されたことはなかったでしょうか。
どなた様に限らず、心当たりがあるはずです。

でも、知っていることがちゃんと出来るのなら、それこそ警察や裁判所はいらないわけであり、知っていても出来ないからこそ、そういったものが今も尚必要だということを、皆さんわかっているようでわかっていないのです。

ですから「頭ではわかっているのだけど、ついつい違ったことをやってしまう、何故だろう」と考えることが出来る人はまだいいほうです。

また「こんな簡単なことすら出来ないなんて、自分はなんて情けない人間なんだろう」と自己批判出来る方はかなり優秀なほうです。

ほとんどの方は、自分が出来ない言い訳を探すのに精を出すか、あるいは、「そんなもの出来ないのが当たり前だ、現にあの人もこの人もみんな出来てないじゃないか」と居直って終わりです。

「知っていても出来ない」実はこの辺が地球でのゲームを攻略するための急所となるところですから、今日はそうしたことをお話してみます。

それではまず最初に、何故「知っていても出来ない」のか、ということですが、その主たる原因は、人間がいくつものハンデを背負って生きていかなければならないことにあります。

もし、そうしたハンデがひとつもなければ、誰しもが「知っていたら出来る」のです。

それでは、どういったハンデを人間が背負っているのかと言うと、その最たるものは肉体です。
現在人間が纏っている肉体は、実は宇宙最悪の制限服なのです。

どれぐらいひどい代物かというと、全宇宙の物理的生命体の元型であるアダムカドモンと比較して、その能力はまさに天と地、月とすっぽんぐらいの大きな差があります。

外見は今の人間と同じように見えても、アダムカドモンともなれば、食べたり、飲んだり、寝たり、病気したり、老いたり、することがないのはもちろんのこと、物質化やテレパシーなどのありとあらゆる能力を有していて、物質宇宙の頂点に立つにふさわしい、神に準じた能力を持っています。
今の人間から較べれば、まさに神そのものといっても良いくらいです。

ですから、今現在人間が纏っている肉体は、性能的にいうと、ピンからキリのキリに該当し、本来完全自由である人間の本質生命体にとって、肉体はあらゆる活動を制約する宇宙最悪の制限服なのです。

戦後、皆さんは何かにつけ、自由だ自由だ、などということを言われるようになりましたが、これはほかに例えようもないくらいのものすごい錯覚であり、人間は肉体を纏っている限り、自由とはほど遠いのが現実なのです。

歴史を振り返ると、確かに近世以降、フランス革命やアメリカ南北戦争また第二次世界大戦などを契機に、それまでの封建制度、奴隷制度、植民地主義などが是正され、一時から較べれば人々の自由度はかなり改善したような印象を受けます.
しかし、それはあくまで人間が人間を直接的に過度にコントロールしてきた最悪の時代と比較してのことです。
いくらそういったジャンルでの改善がなされてきたといっても、人間が宇宙最悪の制限服である現在の肉体を纏っているという事実には何ら変わりはありません。
自由度をわかりやすく数字にして説明すると、最悪の時代をマイナス100ポイントとして、現在はせいぜい5ポイントほど改善したマイナス95ポイントぐらいにしかなっていないのです。

また、人間が他の人間をコントロールする手法が、以前よりも一段と巧妙化しただけのこと。
マインドコントロールは年を追うごとに強化されていますから、思ったほどには改善していないのが現状なのです。

そもそも本当の自由とは、思想・言論・行動・宗教・職業・婚姻といった地球で論議されているような個々の狭い範疇で規定されるものではありません。
思ったことすべてが即座に現実化するということであり、今の地球のように思ったことがなかなか現実化しない、あるいは現実化するのに相当な時間がかかるバージョンは、自由があるというよりも、むしろ自由がほとんどないバージョンであると言った方が正確なのです。

また、高次の世界においては、思ったことすべてが即座に現実化するのは当たり前のことです。
自由が「常態」となっているため、あえて自由を意識する必要などありません。
もしかすると自由というボキャブラリー自体が存在しないのかも知れません。
一方、地球では不自由が「常態」になって、自由が「一時的な状態」にまで追いやられています。
不自由を表現するための手段として、対極となる自由という言葉が頻繁に用いられている感じがします。

この地球では不自由が当たり前になっています。
だから少しでも自由が向上するようなことが起きると、さも大きな自由が得られたかのような錯覚に陥ってしまうことが、過去幾度となく繰り返されてきたのです。

この宇宙における愛と自由の関係について説明しておくと、
高度な愛を表現している領域では高度な自由が与えられ、
低度な愛しか表現できない領域では低度な自由しか与えられない、というのが基本的なルールになっています。

それでは、何故そうしたルールが設けられているのかというと、低度な愛しか表現できない魂たちに高度な自由を与えてしまうと、その領域が短期間に全滅してしまう可能性が高いため、そうなっているわけです。

特に限度ギリギリまでエゴが強化されている地球では、あっという間に全滅してしまうことが予想されるため、肉体という宇宙最悪の制限服を着せたうえ、なおかつ極限まで自由、すなわち思考の現実化を制限して、最悪の事態を回避しているわけです。

もしこの地球で、よその星よりも何かしらの大きな自由があるとすれば、それは少々の悪いことならいくらでもやって良い、というあまり有り難くない自由です。

ですから、そうした自分のことすらもままならない肉体を纏ったうえに、自由まで徹底的に制限され、なおかつ家族や他人様の世話をしながら生きてゆかなければならないという状況下では、何かにつけ「知っていても出来ない」ことが出てくるのは、至極当然なのです。





ご支援よろしく<(_ _)>











プロフィール

さんかるぱ

Author:さんかるぱ
アメリカ在住13年。後、大阪に居を構え広い意味での「癒し」に関わる。

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