スポンサーサイト

--/--/-- --

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ひっそりと扱われる「真実」のインフルエンザ情報

2009/09/30 Wed

豚インフルエンザが弱毒性で致死率が高くない事は既にご存知の方が多いと思います。

また予防接種についても、米国海軍の船の乗組員たちの家族から恐ろしい内部告発が出てきているそうです。

それによると、今年4月に新型インフルエンザの予防接種を受けたある船の乗組員347人中333人が、結果的に新型インフルエンザを発症したのだといいます。

要するに、予防接種そのものに新型インフルエンザの原因があったことが明らかになったのです。


下記の2つのニュースソースは米ハーバード大などの研究チーム、米疾病対策センター(CDC)と信頼に足る情報と判断して良いでしょう。


メディアのデマ情報に不安を煽られている多く方に真実を伝えてあげる事、

そして性懲りもなく、人々の健康生命を顧みず、どこぞの利益を誘導するメディアには抗議の電話、ファックス、メールなどで対応されてください。


また、普段から免疫力を高めるような生活が大事です。

どうぞご自愛ください。

<(_ _)>




ありがとうございます

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
<新型インフル>致死率「季節性」並み 米チーム解析
(毎日新聞 - 09月30日)


新型インフルエンザの致死率は毎年流行する季節性インフルエンザと同程度の0.045%とする分析を、米ハーバード大などの研究チームがまとめ、米医学サイト「PLoS Currents」に発表した。これまでは、1957年から流行した「アジアかぜ」並みの0.5%程度とみられていた。

 研究チームは、4~7月、米ミルウォーキーなど2市で入院した感染者、入院していない感染者のデータをもとに、通院しなかった人も含めた発症者を推計した。従来の解析では、確定診断を受けた患者に対する死者の割合を致死率として計算していた。【永山悦子】

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

■「新型」感染でもタミフル原則不要、米が指針
(読売新聞 - 09月09日)


【ワシントン=山田哲朗】米疾病対策センター(CDC)は8日、健康な人は新型インフルエンザに感染しても、タミフルやリレンザなど抗ウイルス薬による治療は原則として必要ないとする投薬指針を発表した。

抗ウイルス薬の供給には限りがあるほか、過剰投与で耐性ウイルスが出現する恐れが高まるため。CDCのアン・シュケット博士は同日の記者会見で「子供でも大人でも大多数は抗ウイルス薬は必要なく、自宅で休養することで治る」と述べた。










ワンクリックありがとうございます<(_ _)>









スポンサーサイト

努力の上の辛抱という棒を立てる

2009/09/28 Mon

致知出版社メルマガ【2009/9/23】からです。

この話を読んでわたしもメルマガの購読を始めました…


                    
タレント・桂小金治さんが話された父親の教えです。




ところで、この頃(10歳頃)、
僕にとって忘れられない出来事があります。

ある日、友達の家に行ったらハーモニカがあって、
吹いてみたらすごく上手に演奏できたんです。
無理だと知りつつも、家に帰って
ハーモニカを買ってくれと親父にせがんでみた。

すると親父は、「いい音ならこれで出せ」と
神棚の榊(さかき)の葉を1枚取って、
それで「ふるさと」を吹いたんです。
あまりの音色のよさに僕は思わず聞き惚れてしまった。
もちろん、親父は吹き方など教えてはくれません。

「俺にできておまえにできないわけがない」。

そう言われて学校の行き帰り、葉っぱをむしっては
一人で草笛を練習しました。
だけど、どんなに頑張ってみても一向に音は出ない。
諦めて数日でやめてしまいました。

これを知った親父がある日、

「おまえ悔しくないのか。
 俺は吹けるがおまえは吹けない。
 おまえは俺に負けたんだぞ」

と僕を一喝しました。続けて

「一念発起は誰でもする。
 実行、努力までならみんなする。
 そこでやめたらドングリの背比べで終わりなんだ。

 一歩抜きん出るには
 努力の上の辛抱という棒を立てるんだよ。
 この棒に花が咲くんだ」

と。その言葉に触発されて
僕は来る日も来る日も練習を続けました。
そうやって何とかメロディーが
奏でられるようになったんです。

草笛が吹けるようになった日、
さっそく親父の前で披露しました。

得意満面の僕を見て親父は言いました。

「偉そうな顔するなよ。
 何か一つのことができるようになった時、
 自分一人の手柄と思うな。
 世間の皆様のお力添えと感謝しなさい。
 錐(きり)だってそうじゃないか。
 片手で錐は揉めぬ」


努力することに加えて、
人様への感謝の気持ちが生きていく上で
どれだけ大切かということを、
この時、親父に気づかせてもらったんです。

翌朝、目を覚ましたら枕元に新聞紙に包んだ
細長いものがある。

開けて見たらハーモニカでした。

喜び勇んで親父のところに駆けつけると、

「努力の上の辛抱を立てたんだろう。
 花が咲くのは当たりめえだよ」。

子ども心にこんなに嬉しい言葉はありません。
あまりに嬉しいものだかち、お袋にも話したんです。
するとお袋は

「ハーモニカは3日も前に買ってあったんだよ。
 お父ちゃんが言っていた。
 あの子はきっと草笛が吹けるようになるからってね」。

僕の目から大粒の涙が流れ落ちました。
いまでもこの時の心の震えるような感動は、
色あせることなく心に鮮明に焼きついています。

かつての日本にはこのような
親子の心の触れ合いが息づいていたんです。










ワンクリックありがとうございます<(_ _)>











つもり違い10ヵ条

2009/09/25 Fri

最近長い日記が続いたので、今回は簡潔に。

ちょっと身につまされるお話かも…

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


高いつもりで 低いのが 教養

低いつもりで 高いのが 気位

深いつもりで 浅いのが 知識

浅いつもりで 深いのが 欲望

厚いつもりで 薄いのが 人情

薄いつもりで 厚いのが 面皮

強いつもりで 弱いのが 根性

弱いつもりで 強いのが 自我

多いつもりで 少いのが 分別

少いつもりで 多いのが 無駄



そのつもりでがんばりましょう


    (出所不明)








ワンクリックありがとうございます<(_ _)>










1Q84雑感②

2009/09/23 Wed

「そう、1984年も1Q84年も、原理的には同じ成り立ちのものだ。君が世界を信じなければ、またそこに愛がなければ、すべてはまがい物に過ぎない。どのような世界にあっても、仮説と事実を隔てる線はおおかたの場合目には映らない。その線は心の目で見るしかない」(Book2 p273)


村上春樹はオウム事件に触発されて『1Q84』を構想したといいます。

「普通」の「平凡」な人間が、どのようにしてサリン事件をはじめとした凶悪な事件に関わることになったのか?と。



エルサレムのスピーチの中、

「考えてみてください。我々のうちにははっきりとした、生きている魂があります。システムは魂を持っていません。システムに我々を搾取させてはいけません。システムに生命を任せてはいけません。システムが我々を作ったのではありません。我々がシステムを作ったのです。」

という一節があります。


特定の社会やコミュニティが法律や規則を受け容れるということは、その構成員が意欲的に嘘を聞こうとする現われといえます。

確かにあらゆるリーダーたちは真実に関する誤った理解を提供し、大衆をコントロールするために利用してきました。

しかしそういった指導者やシステムは、そのメンバーたち自身が他のものに責任を転嫁するために、無意識~内側の状態を投影したものであることも事実なのです。

自己責任と言ってしまえば身もフタもありませんが、自分が作り上げたものにコントロールされるという図式は、エゴと真我の関係とも相似形ということになるのでしょうか…



『1Q84』~やはり村上春樹は唯の「嘘の紡ぎ手」ではありません。

青豆、天吾、ふかえり、リトルピープル…村上ワールド全開の登場人物たち。

大小、さまざまなシステムの数々…


「物語」の中で「善」とか「悪」ということがでてきたとしても、そこに作者の価値判断はなく、

「ハッピーエンドか否か」ということにも元々興味がありません。

善も悪も、ハッピーか否か…ということも、全く個人的な問題であることを熟知しているからですね。


氏自身が述べているように「小説は問題の解決を示すというより、問題を提起する」もの。



珍しく2回立て続けに読んだ『1Q84』でしたが、

いまでも「物語」が頭の中で増殖をやめません…



物語の冒頭から流れるヤナーチェックのシンフォニエッタ。

何か良き前触れをというより、どこか取り留めのない不安を煽るような旋律…



ヤナーチェック シンフォニエッタ


しかしエンディングを聴くと、哀しいばかりではない余韻が…

ちょっと希望が垣間見えました

(Book3に続く…?)


Jana'c(ek - 'Sinfonietta' final movement




空に浮かぶ月が1つのままでも、あるいは突然2つになったとしても、

自分が2009年にいるのか200Q年にいるのか、

判断できる保証はどこにもありません…










ワンクリックありがとうございます<(_ _)>









1Q84 雑感①~村上春樹 エルサレム賞受賞スピーチ

2009/09/20 Sun

およそ20年前、うちの母が亡くなったとき自失状態となり、その空白を埋めてくれたのは手塚治虫の『ブッダ』でした。
次男坊で、特に葬儀の段取りに関係なかった自分の気を紛らわせるのに絶好の本でした。

親しくさせていただいていた知人が、先月お亡くなりになりました。
その時、偶々読んでいたのが村上春樹『1Q84』です。

それが、どれだけ急激なショックを紛らわしてくれたことか…


小説は200読むうち1くらいの割合で、フィクションを読む習慣は20年近く、ほとんどありません。
そうなった理由は昔、村上春樹の『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』を読んだことがきっかけでした…

その辺の事情についてはまた書かせていただきます。


今回の日記は、村上春樹がエルサレム賞受賞の際行った、恐らくは歴史に残る名スピーチから始めます。

当時、ガザの一般市民を無差別に攻撃するイスラエルに赴き、受賞スピーチをすることには大きな非難も寄せられました。
しかし彼のスピ-チを詳細に聴く(読む)と彼の静かな怒りと悲しみ、そして大きな枠組みの中で、メッセージを伝える強い意志を感じます。



村上春樹という、この時代最も重要な作家の作品を理解するのに、彼の持つ世界観を垣間見ることは大変役に立つと思います。


非常に長いですが、歴史に残る名スピーチだと思います。
素晴らしい原文も共に載せさせていただきました


ありがとうございます

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


村上春樹さん、ガザ侵攻を批判




村上春樹 受賞スピーチの翻訳 全文


I have come to Jerusalem today as a novelist, which is to say as a professional spinner of lies.
 私は今日、作家として、言わばプロの嘘の紡ぎ手として、イスラエルまでやってきました。


Of course, novelists are not the only ones who tell lies. Politicians do it, too, as we all know. Diplomats and military men tell their own kinds of lies on occasion, as do used car salesmen, butchers and builders. The lies of novelists differ from others, however, in that no one criticizes the novelist as immoral for telling them. Indeed, the bigger and better his lies and the more ingeniously he creates them, the more he is likely to be praised by the public and the critics. Why should that be?
 もちろん、作家以外にも嘘をつく人種はいます。皆さんご存知のように政治家も嘘をつきます。外交官や軍人も、場合によっては外交官の嘘、軍人の嘘をつきますし、中古車のセールスマンや肉屋や大工だって同じです。しかし、作家の嘘には他の人々の嘘とは違う点があります。作家は嘘をついたからといって不謹慎であると批判されることはありません。むしろ、嘘が大きくて巧みであればあるほど、そしてそれが独創的であるほど、人々や批評家から賞賛されるのです。何故でしょうか?


My answer would be this: Namely, that by telling skillful lies - which is to say, by making up fictions that appear to be true - the novelist can bring a truth out to a new location and shine a new light on it. In most cases, it is virtually impossible to grasp a truth in its original form and depict it accurately. This is why we try to grab its tail by luring the truth from its hiding place, transferring it to a fictional location, and replacing it with a fictional form. In order to accomplish this, however, we first have to clarify where the truth lies within us. This is an important qualification for making up good lies.
私の答えはこのようなものです。すなわち、巧みな嘘をつくこと、言い換えれば真実味のあるフィクションを構築することによって、作家は真実を別の場所に晒し、新しい光を当てることができるのです。ほとんどの場合、真実をそのままの形で把握し、正確に描写することは不可能です。だから、真実が潜んでいるところからおびき出して、フィクションの次元に移し、フィクションの形を与えることで、その尻尾を掴もうとするわけです。しかし、これを成し遂げるためには、まず、我々自身の中の真実がどこにあるのかをはっきりさせておかなければなりません。これは巧みな嘘を作り上げる上で重要な条件です。


Today, however, I have no intention of lying. I will try to be as honest as I can. There are a few days in the year when I do not engage in telling lies, and today happens to be one of them.
 しかし、本日、私は嘘を言うつもりはありません。できるだけ正直になろうと思います。私が嘘紡ぎにいそしまない日は年に数日しかないのですが、今日はたまたまその一日だったということです。


So let me tell you the truth. A fair number of people advised me not to come here to accept the Jerusalem Prize. Some even warned me they would instigate a boycott of my books if I came.
というわけで、率直に言います。たいそうな数の人々からエルサレム賞を受け取るためにここに来るべきではないと忠告されました。中には、私がここに来たら私の本の不買運動を展開するとまで警告した人々もいました。


The reason for this, of course, was the fierce battle that was raging in Gaza. The UN reported that more than a thousand people had lost their lives in the blockaded Gaza City, many of them unarmed citizens - children and old people.
 理由はもちろん、ガザで起こっている激しい戦闘です。国連のレポートによれば、1000人以上の人が封鎖されたガザ市で命を落としています。その多くは非武装の市民-老人や子供たちです。


Any number of times after receiving notice of the award, I asked myself whether traveling to Israel at a time like this and accepting a literary prize was the proper thing to do, whether this would create the impression that I supported one side in the conflict, that I endorsed the policies of a nation that chose to unleash its overwhelming military power. This is an impression, of course, that I would not wish to give. I do not approve of any war, and I do not support any nation. Neither, of course, do I wish to see my books subjected to a boycott.
 賞についての話が出るたびに、私は自問しました。このような時期にイスラエルを訪れ、文学賞を受賞することは適切なのだろうか?これが、紛争の一方の側に味方する印象を造らないだろうか?圧倒的な武力を解き放つ選択をするという政策を支持することにならないだろうか?もちろん、このような印象与えたいとは思いません。私はいかなる戦争も反対ですし、いかなる国も支持しません。また、同じように自分の著作がボイコットされるのも本意ではありません。


Finally, however, after careful consideration, I made up my mind to come here. One reason for my decision was that all too many people advised me not to do it. Perhaps, like many other novelists, I tend to do the exact opposite of what I am told. If people are telling me - and especially if they are warning me - "don't go there," "don't do that," I tend to want to "go there" and "do that." It's in my nature, you might say, as a novelist. Novelists are a special breed. They cannot genuinely trust anything they have not seen with their own eyes or touched with their own hands.
 しかし、じっくり考えた末に、結局は来ることにしたのです。こう決心した理由の一つは、あまりにも多くの人に来るなといわれたことでした。恐らく、多くの作家がそうだと思いますが、私は他人に言われたことと反対のことをする傾向があるのです。もし人々に「行くな」とか「するな」と言われたら-特に、脅されたら-私は行きたくなるししたくなる。これは、私の、言うなれば、作家としての習性なのです。作家とは特異な人種です。作家は自身の目で見、自身の手で触れたもの以外を完全に信用することができません。


And that is why I am here. I chose to come here rather than stay away. I chose to see for myself rather than not to see. I chose to speak to you rather than to say nothing.
 だから私はここにいるのです。留まることよりもここに来ることを選びました。見ないことよりも自身の目で見ることを選びました。口を塞ぐことよりも、ここで話すことを選びました。


This is not to say that I am here to deliver a political message. To make judgments about right and wrong is one of the novelist's most important duties, of course.
 それは、私がここに政治的なメッセージを運んできたということではありません。物事の善悪を判断することは作家の最も重要な仕事であることはもちろんです。


It is left to each writer, however, to decide upon the form in which he or she will convey those judgments to others. I myself prefer to transform them into stories - stories that tend toward the surreal. Which is why I do not intend to stand before you today delivering a direct political message.
しかし、そうした判断を他人にどのような形で伝達するかという決定は個々の作家にゆだねられています。私自身はそれを物語の形にーそれも、シュールな物語に変換するのを好みます。だから本日、皆さんの前に立っても政治的なメッセージを直接伝えようとは思わないのです。


Please do, however, allow me to deliver one very personal message. It is something that I always keep in mind while I am writing fiction. I have never gone so far as to write it on a piece of paper and paste it to the wall: Rather, it is carved into the wall of my mind, and it goes something like this:
 が、ここで、一つ非常に個人的なメッセージを述べさせて下さい。それは、私がフィクションを書くときに常に心がけていることです。(座右の銘として)紙に書いて壁に貼っておくという程度ではなく、私の魂の壁に刻み付けてあるものなのです。それは、こういうことです。


"Between a high, solid wall and an egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg."
 もし、硬くて高い壁と、そこに叩きつけられている卵があったなら、私は常に卵の側に立つ。


Yes, no matter how right the wall may be and how wrong the egg, I will stand with the egg. Someone else will have to decide what is right and what is wrong; perhaps time or history will decide. If there were a novelist who, for whatever reason, wrote works standing with the wall, of what value would such works be?
 そう、いかに壁が正しく卵が間違っていたとしても、私は卵の側に立ちます。何が正しくて何が間違っているのか、それは他の誰かが決めなければならないことかもしれないし、恐らくは時間とか歴史といったものが決めるものでしょう。しかし、いかなる理由であれ、壁の側に立つような作家の作品にどのような価値があるのでしょうか。


What is the meaning of this metaphor? In some cases, it is all too simple and clear. Bombers and tanks and rockets and white phosphorus shells are that high, solid wall. The eggs are the unarmed civilians who are crushed and burned and shot by them. This is one meaning of the metaphor.
 このメタファーの意味は何か?時には非常にシンプルで明瞭です。爆撃機や戦車やロケット、白リン弾が高くて硬い壁です。それらに蹂躙され、焼かれ、撃たれる非武装の市民が卵です。これがこのメタファーの一つの意味です。


This is not all, though. It carries a deeper meaning. Think of it this way. Each of us is, more or less, an egg. Each of us is a unique, irreplaceable soul enclosed in a fragile shell. This is true of me, and it is true of each of you. And each of us, to a greater or lesser degree, is confronting a high, solid wall. The wall has a name: It is The System. The System is supposed to protect us, but sometimes it takes on a life of its own, and then it begins to kill us and cause us to kill others - coldly, efficiently, systematically.
 しかし、それが全てではありません。もっと深い意味を含んでいます。こう考えてみてください。多かれ少なかれ、我々はみな卵なのです。唯一無二でかけがいのない魂を壊れやすい殻の中に宿した卵なのです。それが私の本質であり、皆さんの本質なのです。そして、大なり小なり、我々はみな、誰もが高くて硬い壁に立ち向かっています。その高い壁の名は、システムです。本来なら我々を守るはずのシステムは、時に生命を得て、我々の命を奪い、我々に他人の命を奪わせるのです-冷たく、効率的に、システマティックに。


I have only one reason to write novels, and that is to bring the dignity of the individual soul to the surface and shine a light upon it. The purpose of a story is to sound an alarm, to keep a light trained on The System in order to prevent it from tangling our souls in its web and demeaning them. I fully believe it is the novelist's job to keep trying to clarify the uniqueness of each individual soul by writing stories - stories of life and death, stories of love, stories that make people cry and quake with fear and shake with laughter. This is why we go on, day after day, concocting fictions with utter seriousness.
 私が小説を書く理由は一つしかありません。それは、個々の魂の尊厳を浮き彫りにし、光を当てるためなのです。物語の目的は警鐘を鳴らすことです。システムが我々の魂をそのくもの糸の中に絡めとり、貶めるのを防ぐために、システムに常に目を光らせているように。私は、物語を通じて人々の魂がかけがえのないものであることを示し続けることが作家の義務であることを信じて疑いません-生と死の物語、愛の物語、人々が涙し、恐怖に震え、腹を抱えて笑う物語を通じて。これこそが、我々が日々、大真面目にフィクションをでっち上げている理由なのです。


My father died last year at the age of 90. He was a retired teacher and a part-time Buddhist priest. When he was in graduate school, he was drafted into the army and sent to fight in China. As a child born after the war, I used to see him every morning before breakfast offering up long, deeply-felt prayers at the Buddhist altar in our house. One time I asked him why he did this, and he told me he was praying for the people who had died in the war.
 私の父は昨年90歳で亡くなりました。彼は引退した教師で、パートのお坊さんでした。大学院生の頃、父は陸軍に徴兵され中国の戦場に赴任しました。私は戦後に生まれた子供でしたが、父が毎朝朝食の前に、家の仏壇に向かって長い真摯な祈りを捧げる姿を見てきました。一度、父にその理由を尋ねたことがありました。父は、戦争で亡くなった人のために祈っているのだ、と答えました。


He was praying for all the people who died, he said, both ally and enemy alike. Staring at his back as he knelt at the altar, I seemed to feel the shadow of death hovering around him.
 亡くなった全ての人のために祈るのだ、と父は言いました。敵も味方も、全て。仏壇に向かって膝まづく父の背中を見ながら、父の周囲に死の影が漂っているような気がしたものです。


My father died, and with him he took his memories, memories that I can never know. But the presence of death that lurked about him remains in my own memory. It is one of the few things I carry on from him, and one of the most important.
 父は亡くなり、父と共に父の記憶も逝ってしまいました。父が記憶していたことを知るすべはありません。しかし、父の周囲に潜んでいた死の存在感は私の記憶の中に残っています。これは、父から受け継いだ数少ないものの一つで、最も重要なものの一つです。


I have only one thing I hope to convey to you today. We are all human beings, individuals transcending nationality and race and religion, fragile eggs faced with a solid wall called The System. To all appearances, we have no hope of winning. The wall is too high, too strong - and too cold. If we have any hope of victory at all, it will have to come from our believing in the utter uniqueness and irreplaceability of our own and others' souls and from the warmth we gain by joining souls together.
 私が皆さんにお伝えしたいことは一つだけです。我々は国や人種や宗教を超えて、同じ人間なのだということ、システムという名の硬い壁に立ち向かう壊れやすい卵だということです。見たところ、壁と戦っても勝ち目はありません。壁はあまりに高く、あまりに暗くて-あまりに冷たいのです。少しでも勝機があるとしたら、それは自分と他人の魂が究極的に唯一無二でかけがえのないものであると信じること、そして、魂を一つにしたときに得られる温もりだけです。


Take a moment to think about this. Each of us possesses a tangible, living soul. The System has no such thing. We must not allow The System to exploit us. We must not allow The System to take on a life of its own. The System did not make us: We made The System.
 考えてみてください。我々のうちにははっきりとした、生きている魂があります。システムは魂を持っていません。システムに我々を搾取させてはいけません。システムに生命を任せてはいけません。システムが我々を作ったのではありません。我々がシステムを作ったのです。


That is all I have to say to you.
 以上です。

I am grateful to have been awarded the Jerusalem Prize. I am grateful that my books are being read by people in many parts of the world. And I am glad to have had the opportunity to speak to you here today.
 エルサレム賞の受賞に感謝します。私の本が世界の色々な場所で読んでいただけることに感謝します。今日、ここで皆さんにお話できる機会をいただき嬉しく思います。










ワンクリックありがとうございます<(_ _)>









Milgram's 37 ~ミルグラムの37人

2009/09/16 Wed

昔アメリカのミルグラムと言う大学教授が、「懲罰を用いれば学習能力は向上するのか?」という有名な実験をしました。

電極につながれた被験者に単語を覚えさせ、間違うと電気ショックによる刺激が与えられるという方法。

実験は、電極板を付けた被験者と、電気ショックのスイッチを押す役目に分かれます。

そして被験者が間違った答えをだすたびに、電圧を上げるスイッチを押すという仕組みになっています。

スイッチを押す役目の人は、被験者が間違いをするたびに、電圧が最高レベルになるまでスイッチを押しつづけました。

被験者にはものすごい苦痛が伴うはずなのに…


実はこの実験は学習能力と懲罰の関連性の実験でも何でもなく、

「人間は自分が責任をとらなくてもいいのであれば、あっさりと他人の言うことに従い、どんなことでもするのか?」

~ということを検証する実験だったのです。

実際に電極には電流が流れず、フェイクの被験者は演技をしていただけ。

本当はスイッチを押す人が実験させられていたのでした。

一方、協力した40人中37人はほとんど臆することなくスイッチを押したそうです。


この話を題材にPeter Gabrielは“Milgram's 37” という曲を作りました。

この曲のフレーズ

「We do what we're told (私たちは言われたとおりにする)」

~はそういった意味を持っているのですが、

PGはライブでこの曲を演奏するときにオーディエンスに「We do what we're told」と何度も何度も連呼させるのです。

もちろん深い意味を知らないオーディエンスは言われたとおりに大声で何度も叫びます。


We do what we're told 
We do what we're told ・・・・・と


―怖い話にも思えますが、現実には、よくありがちな話でもあります。

(ーー゛)



しかし物事の解釈には常に両面が。

それは40人中3人も、唯々諾々と言われるがままにならなかったということ。

確率で言うと7.5%

5%の目覚めた人類意識で世界を救うという運動をしている人もいます。

中々捨てたものではありません…




感謝 弥栄









ワンクリックありがとうございます<(_ _)>









プロフィール

さんかるぱ

Author:さんかるぱ
アメリカ在住13年。後、大阪に居を構え広い意味での「癒し」に関わる。

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索
RSSフィード
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。