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二つの今日という日

2009/01/05 Mon

「今日」は二つの特別日。
今日も含めた過去で言うなら、
「今日」の私は人生で最長老、最ベテラン、最古参。
その日の判断は、最古参の「私」が下したものだから、
それ以上のものはない。



「今日下した判断は、どんな判断もすべて100%正しい」
それにしては、半年前や1年前に下した判断で、
「ああすればよかった」「どうすればよかった」と思うことが少なくありません。

しかし、よく考えてみてください。
そのように「ああすればよかった」と考える自体、
私たちがそのときより進歩・向上している、ということでしょう。

たとえば、「半年前の自分は未熟だった」と思うなら、
その半年の間に、その人は当時よりずっと大きな判断力を身につけたと言えます。
あるいは、広い視野を持ち、それだけ成長することができたということになります。

自分の判断が未熟であったと思えば思うほど、その時より現在の自分は成長しています。

だから、過去の時点の「今日」にさかのぼってみれば、
その時点では、自分の選んだことが一番正しい判断だったということ。
それ以前の自分の「過去」と、そのときの「現在」を知り抜いている
自分でなければ、その判断はできません。

だから、どんなに未来において間違っていると.感じても、
「今日下した判断」はすべて100%正しいのです。



今日も含めた未来を考えたとき、
「私」は今日、最も未熟なものであり、最若年者である。
では、さらにもっと勉強しよう、
向上しよう、魂を磨こうということになる。



今日を未来の一部と考えたときは、「過去の中の最古参」とは逆に、
今日という日の自分は「もっとも未熟で最若年」ということになる。

だから、未来に向けていか自分を磨くか、向上させるか、
成長させるかということにエネルギーを使うべきだと考えます。

ところが、過去の人生をくよくよ考えたり、後悔したりしてしまう人は、そのことばかりにエネルギーを費やして未来のことをあまり考えていない気がします。

その時点では判断が100%正しかったのですから、そこを考えてもしかたがありません。

神社には石段がありますが、その間には必ず「踊り場」がつくられています。
そこから下を見下ろせば、自分が登ってきた道が続いています。

そこで、「こんな長い石段を、よく登ってきたなあ」と
自分をほめてあげたらいかがでしょうか。

そして、上の石段を見れば、まだ長い登り道が存在しています。
その行き着く先には「神様」が存在しています。
だから、「よし、まだまだ登るぞ」という気になるのです。

こういう二つの意味をもった日が「今日」なのです。
それが毎日続いていくのですから、こんなに楽しい人生はないでしょう。




小林正観さんの「心を軽くする言葉」(イースト・プレス)より







ご支援よろしく <(_ _)>








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さんかるぱ

Author:さんかるぱ
アメリカ在住13年。後、大阪に居を構え広い意味での「癒し」に関わる。

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