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知っていても出来ない ①

2009/02/06 Fri

その昔、唐代の詩人白楽天が、西湖の秦望山で修行していた道林禅師を訪ねた折の話です。
道林禅師は、松の木の上で座禅していたことでつとに有名な、一風変わったお坊さんです。


白楽天:「木の上で修行するなんて、危ないのではないですか」
道林禅師:「そんなことはない、お前さんのほうがよっぽど危ないわ」
白楽天:「どうしてでしょう」
道林禅師:「お前さんの心は、まるでたくさんの薪を積んだすぐそばで焚き火をしているように不安定なものだからだ」

(中間省略)

白楽天:「それでは、仏教の極意とは何でしょうか」
道林禅師:「悪いことをしないで、善いことをすることだ」
白楽天:「それならば、三歳の子供だって知っていますが・・・」
道林禅師:「どれだけ知っていても、八十になっても出来ないのである」

「知っていても出来ない」皆さんも心当たりがあるはずです。
それもひとつやふたつではないかも知れません。
暇な時に一度ゆっくり数えてみて下さい。

真剣に数えてみて初めて、知っているということと、それが出来るということは、全く別のものであることがよく理解できます。

誰しもそうですが、他人から自分が知っていることに関して少しでも諭されようものなら、何となく馬鹿にされたような気がして、「そんなことぐらい、言われなくても知ってます」とケンカ腰で返答されたことはなかったでしょうか。
どなた様に限らず、心当たりがあるはずです。

でも、知っていることがちゃんと出来るのなら、それこそ警察や裁判所はいらないわけであり、知っていても出来ないからこそ、そういったものが今も尚必要だということを、皆さんわかっているようでわかっていないのです。

ですから「頭ではわかっているのだけど、ついつい違ったことをやってしまう、何故だろう」と考えることが出来る人はまだいいほうです。

また「こんな簡単なことすら出来ないなんて、自分はなんて情けない人間なんだろう」と自己批判出来る方はかなり優秀なほうです。

ほとんどの方は、自分が出来ない言い訳を探すのに精を出すか、あるいは、「そんなもの出来ないのが当たり前だ、現にあの人もこの人もみんな出来てないじゃないか」と居直って終わりです。

「知っていても出来ない」実はこの辺が地球でのゲームを攻略するための急所となるところですから、今日はそうしたことをお話してみます。

それではまず最初に、何故「知っていても出来ない」のか、ということですが、その主たる原因は、人間がいくつものハンデを背負って生きていかなければならないことにあります。

もし、そうしたハンデがひとつもなければ、誰しもが「知っていたら出来る」のです。

それでは、どういったハンデを人間が背負っているのかと言うと、その最たるものは肉体です。
現在人間が纏っている肉体は、実は宇宙最悪の制限服なのです。

どれぐらいひどい代物かというと、全宇宙の物理的生命体の元型であるアダムカドモンと比較して、その能力はまさに天と地、月とすっぽんぐらいの大きな差があります。

外見は今の人間と同じように見えても、アダムカドモンともなれば、食べたり、飲んだり、寝たり、病気したり、老いたり、することがないのはもちろんのこと、物質化やテレパシーなどのありとあらゆる能力を有していて、物質宇宙の頂点に立つにふさわしい、神に準じた能力を持っています。
今の人間から較べれば、まさに神そのものといっても良いくらいです。

ですから、今現在人間が纏っている肉体は、性能的にいうと、ピンからキリのキリに該当し、本来完全自由である人間の本質生命体にとって、肉体はあらゆる活動を制約する宇宙最悪の制限服なのです。

戦後、皆さんは何かにつけ、自由だ自由だ、などということを言われるようになりましたが、これはほかに例えようもないくらいのものすごい錯覚であり、人間は肉体を纏っている限り、自由とはほど遠いのが現実なのです。

歴史を振り返ると、確かに近世以降、フランス革命やアメリカ南北戦争また第二次世界大戦などを契機に、それまでの封建制度、奴隷制度、植民地主義などが是正され、一時から較べれば人々の自由度はかなり改善したような印象を受けます.
しかし、それはあくまで人間が人間を直接的に過度にコントロールしてきた最悪の時代と比較してのことです。
いくらそういったジャンルでの改善がなされてきたといっても、人間が宇宙最悪の制限服である現在の肉体を纏っているという事実には何ら変わりはありません。
自由度をわかりやすく数字にして説明すると、最悪の時代をマイナス100ポイントとして、現在はせいぜい5ポイントほど改善したマイナス95ポイントぐらいにしかなっていないのです。

また、人間が他の人間をコントロールする手法が、以前よりも一段と巧妙化しただけのこと。
マインドコントロールは年を追うごとに強化されていますから、思ったほどには改善していないのが現状なのです。

そもそも本当の自由とは、思想・言論・行動・宗教・職業・婚姻といった地球で論議されているような個々の狭い範疇で規定されるものではありません。
思ったことすべてが即座に現実化するということであり、今の地球のように思ったことがなかなか現実化しない、あるいは現実化するのに相当な時間がかかるバージョンは、自由があるというよりも、むしろ自由がほとんどないバージョンであると言った方が正確なのです。

また、高次の世界においては、思ったことすべてが即座に現実化するのは当たり前のことです。
自由が「常態」となっているため、あえて自由を意識する必要などありません。
もしかすると自由というボキャブラリー自体が存在しないのかも知れません。
一方、地球では不自由が「常態」になって、自由が「一時的な状態」にまで追いやられています。
不自由を表現するための手段として、対極となる自由という言葉が頻繁に用いられている感じがします。

この地球では不自由が当たり前になっています。
だから少しでも自由が向上するようなことが起きると、さも大きな自由が得られたかのような錯覚に陥ってしまうことが、過去幾度となく繰り返されてきたのです。

この宇宙における愛と自由の関係について説明しておくと、
高度な愛を表現している領域では高度な自由が与えられ、
低度な愛しか表現できない領域では低度な自由しか与えられない、というのが基本的なルールになっています。

それでは、何故そうしたルールが設けられているのかというと、低度な愛しか表現できない魂たちに高度な自由を与えてしまうと、その領域が短期間に全滅してしまう可能性が高いため、そうなっているわけです。

特に限度ギリギリまでエゴが強化されている地球では、あっという間に全滅してしまうことが予想されるため、肉体という宇宙最悪の制限服を着せたうえ、なおかつ極限まで自由、すなわち思考の現実化を制限して、最悪の事態を回避しているわけです。

もしこの地球で、よその星よりも何かしらの大きな自由があるとすれば、それは少々の悪いことならいくらでもやって良い、というあまり有り難くない自由です。

ですから、そうした自分のことすらもままならない肉体を纏ったうえに、自由まで徹底的に制限され、なおかつ家族や他人様の世話をしながら生きてゆかなければならないという状況下では、何かにつけ「知っていても出来ない」ことが出てくるのは、至極当然なのです。





ご支援よろしく<(_ _)>











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コメント

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セヴァン=スズキ

知っていても出来ない大人を
セヴァン=スズキは厳しく非難しました。

No title

その後のセヴァン・スズキは、しっかりと実践していますね
(=^▽^=)

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さんかるぱ

Author:さんかるぱ
アメリカ在住13年。後、大阪に居を構え広い意味での「癒し」に関わる。

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